2014年4月、私は新卒入社した会社をたった2年と1ヶ月で辞めました。
会社から逃げるというよりも、大学以来、ねじれにねじれておかしくなった人生から逃げました。
「もう嫌だ!くそくらえだ、こんな生き方!」と、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ込むように。
「嫌なことから逃げる」というのは、しばしば否定的なニュアンスをもって語られます。
責任感がないとか、逃げ癖がつくとか、身につくべきものが身につかないとか。
あるいは、それは非常識だという風にも語られます。
みんな我慢してるんだからとか、社会人なら当たり前だとか。
しかし断言しましょう。
おかしいと思ったなら、一刻も早く逃げるべきです。
ストレスで心身を壊すから。
性格や性根がねじ曲がってしまうから。
それももちろん大きな理由のひとつです。
でも一番は、嫌だと思いながらもやり続けるのは、嫌なことを肯定することになるからです。
たとえばスポーツの練習だとか、試験のための勉強だとか、「嫌だけど、求めているものがこの先にあるから頑張ろう」というのはもちろんありです。
目的達成のために必要な嫌なことは敢えて受け入れる。
とても前向きな努力ですよね。
でも、そうじゃないケースが今の世の中には多すぎる。
あまりにも理不尽、あまりにも不条理な事柄が、いかにも正しいような顔をして横行しているのです。
私は大学受験時代から会社員時代にかけて、嫌なこと、おかしいと思うことがありすぎて、頭がどうにかなってしまいそうでした。
- 受験勉強が嫌だ。
- 行きたい大学もないのに頑張らなきゃいけないなんておかしい。
- 点数を稼ぐための打算的なテクニックなんて学びたくない。
- こんなの本当の勉強じゃない。
- 大学が嫌だ。
- 教授も学生もやる気がない、お金と時間をドブに捨てているみたいだ。
- 誰も本心で語らないのが嫌だ。
- 形ばかりの気遣いも、形ばかりの付き合いも、張りついたような愛想笑いも嫌だ。
- 就活が嫌だ。
- よく知りもしない会社に何十社、何百社とエントリーするなんておかしい。
- 白々しい求人広告も白々しい志望動機もばかげてる。
- 人があまりにも粗末に扱われていて気持ち悪い。
- 会社が嫌だ。
- やりたくもない仕事に人生の大半を捧げるなんておかしい。
- 業務も残業も会議も電話も、無駄が多すぎて意味がわからない。
- 改善しようともせずに黙って甘んじているのが耐えられない。
思っていたことのほんの一部を挙げただけでこの有様です。
愚痴と不満とストレスにまみれた暗黒時代でした。
しかし、そんな日々も当時の私なりの生存戦略でした。
両親から、社会から、まるでその道しかないように言われてきたから。
子どもから脱しきれない時期、まだ世間知らずで自信のない時期に、それを力強く突っぱねることはできませんでした。
「大人がそう言うんだから、これしかないんだな…」と渋々受け入れるしかなかったんです。
でも、今なら自信を持って言えます。
あなたの直感は正しい。
社会の方がおかしいんだと。
嫌だ嫌だといいながらもやるということは、その嫌なことを肯定していることになるのです。
おかしな受験も。
おかしな大学も。
おかしな就活も。
おかしな会社も。
心ない付き合いも。
愛想笑いでつく嘘も。
強制させられる努力も。
そして、それらを我慢し続けることも。
「このままでいいよ」と言っているようなものなんです。
だから堂々と「嫌だ」「おかしい」と言ってしまえ。
全力で逃げてしまえ。
この方がいいと思う道、正しいと思う道を行け。
あなたが大人なら言うまでもなく、たとえ子どもであったとしても。
鬱屈として暗雲垂れ込める現代日本に、少しでもこの思いが届いたらと願ってやみません。