継続は力なり。
当たり前すぎて、または綺麗事すぎて、深く受け止めずに通り過ぎがちな言葉です。
私も例に漏れず「確かに真実なんだろう、けど…」と考えてしまいがちでした。
しかしつい最近、この「継続は力なり」を肌レベルで実感した出来事がありました。
出来事自体は大したことではありませんが、完全に無自覚だったところに結果を差し出されてハッとしたのです。
この記事では、そんなお話も踏まえつつ、あらためて「継続は力なり」を考えていこうと思います。
いつものように夕飯の支度をしていたら…
筆者は一人暮らしを始めてから、なんだかんだと三年目になります。
普通に考えると「いつの間にか三年も経ってしまった」と焦りばかり覚えるのですが、昨晩は違いました。
そこそこ頑張った本日の夕食。うどと三種野菜の明太マヨサラダ、鶏肉のゆず胡椒炒め、小松菜と舞茸の味噌汁。 pic.twitter.com/kG7EbAv7D1
— 真中ユエ@manakaweb (@manakayue) April 7, 2016
何気なく、いつものように夕食の支度をしていたとき、ふと気がつきました。
「あれ? 同時に三品作れるようになってる。」
人に振る舞うためのご馳走ではない、自分のための普通の食事で、作り置きもなしで、いっぺんに三品用意できるようになっていることを、このとき初めてはっきりと自覚したのです。
一人暮らしを始めて間もない頃は一品料理を作るのがやっとでした。
二品まではなんとか、でも時間と労力がかかりすぎて現実的でない、三品なんてもってのほかという状態でした。
明らかに成長している。
否応なしに思い知らされて、目の覚める思いがしました。
ただただ作り続けただけ。しかも、毎日じゃない。
この間、私が何をしていたかといえば、本当にただただ日頃の食事を作っていただけです。
料理本を買って勉強するとか、上達のために練習するとか、そんなことは一切やっていません。
毎日毎食作っていたわけでもありません。
基本面倒くさがりで、たくさん作って数日に分けて食べたりします。
インスタントにも相当お世話になっているタイプだと自負しています。
疲れているときや元気のないときなど、栄養バランスもへったくれもないひどい食生活になります。
でも、生鮮食品から作った料理は、たとえ稚拙でもやっぱり美味しいんですよね。
無理はせず、食べたいときや余力のあるときに作る。
ただそれだけだったのです。
成長しても、結果が出てさえ、気付かない
もうひとつ驚いたのが、同時に三品作れるようになったのは、なにも昨日が初めてではないということでした。
おそらく二年目のどこかだと思いますが… いつからなのか、もうまったく覚えていません。
完全に無意識のうちに成長して、できるようになっていたのです。
これほど気付かないものかと思いました。
そして同時に、私自身が気付いていない成長や結果が、実はもっとたくさんあるのではないだろうかと考えました。
数年前の自分と比べて、やっていること、考えていることは変わっていると思う。
でもそれを成長した、結果が出た、できるようになって次のステップに進んだ、などと認識していない。
そうして相変わらず自己嫌悪や劣等感に苛まれて、それが数年前と同じだと思って、ああ変わっていない、何も変われていないと悲観している。
せっかく努力を報いて与えられた結果を、きちんと見ようともせずに…
そんなことをふと、思ったのです。
継続は力なり。ただし、得た結果を見逃すなかれ。
そのようなわけで、「継続は力なり」は間違いなく真実です。
ただし、結果が出るのは数年後。
厳密に言うと、最初のうちはみるみるできるようになっていき(急に成長するから自覚もしやすい)、そこから数年にわたり停滞(しているように見えて実は右肩上がりに成長している時期)があります。
そしてあるとき急に、遠くまで来たことに気付くかもしれないし、気付かず通り過ぎてしまうかもしれない。
こつこつ続けるだけでも大変なのに、せっかく続けても結果が出たことに気付かないなんて、二重三重の苦難ですね。
だからこそ、結果を得たと自ら気付くことが重要。
不足感や不安感に囚われて、自己嫌悪して焦るばかりで、肝心なことを見逃していませんか?
もしかしたら、あなたがほしいほしいと思っていたものは、もう手の中にあるのかもしれません。
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上で「あなた」と書いたのは、実はほとんど自分宛です。
自戒の意味の強い内容になってしまいましたが、多分、同じようなことは他の人にも起きているんだろうなと思い、記事にしてみました。
ここまで読んでくださった方が、ふと何かに気付く、そんなきっかけになれば幸いです。