図太さが足りない。自信も足りない。パワーも足りない。でもそれで引っ込むんじゃなくて、まるですべて足りているかのように胸を張って生きたい。実際、必要なものは多分もう与えられているんだ。だからできるはず。植物のように凛としなやかに生きたい。
— 真中ユエ@manakaweb (@manakayue) June 17, 2016
周りを見渡すと、他人にはあって自分にはないものがたくさん見つかります。
図太さ、自信、パワー、ストレス耐性、スキル、経験、体力、キャパシティ…
かくいう私も足りないものだらけです。
中には、現代社会を生き抜く上で致命的だと感じるものすらあります。
でも、それで遠慮がちに縮こまっていたらきりがありません。
完璧な人間なんていなくて、誰しも足りないものがあるのだから、結局は平等です。
雲の上の存在みたいなあの人も、強気に振る舞うあの人も、同じように足りないものを抱えていて、それを上手いこと見せないでいるだけです。
図太い人も、繊細な人も。
自信のある人も、ない人も。
パワフルな人も、脆弱な人も。
対等なんです。
図太い人が繊細な人より良いわけじゃない。
どちらも同じだけ良い。
自信のある人がない人より正しいわけじゃない。
どちらも同じだけ正しい。
パワフルな人が脆弱な人より優れているわけじゃない。
どちらも同じだけ優れている。
だから、足りないまま胸を張っていいんです。
もっと言えば、足りていようが足りていまいが対等なのなら、足りている、足りていないという議論に意味はありません。
足りている、足りていないと評価しているのは自分自身なんです。
それならば、まるですべて足りているかのように胸を張って生きる、そんなやり方もあるんじゃないでしょうか。
本当は必要なものはすべて与えられていて、それを足りている、足りていないと個々人が勝手に評価しているだけ。
既にあるのに気付いていないだけ。
もしかしたら、そんなばかばかしい話なのかもしれません。
他人に対して引け目を感じてしまうとき。
気圧されてしまうとき。
支配されそうになるとき。
植物のように静かな心で、大地に根を張り、堂々と振る舞いましょう。
あなたとその人は対等です。
あなたにはすべて足りています。
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そんなようなことを思い至ったので、忘れないうちにブログにもしたためておきました。
社会の荒波に翻弄されているときや、困難な物事に立ち向かうとき、自力で気を確かに持ち続けるのは難しいものです。
ここに書いた内容が、何かがあったとき、あなたを少しでも支えるものとなれたなら、とても嬉しく思います。