ドリーマーとドリームキラーの話

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先日、ゆとりさとるさん主催の集まる会にて、早稲田大学のフリースペースを使ってあれこれと話をしていたときのこと。
学生さんからこんなチラシをいただきました。

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笑顔で熱心に話をしてくれる、とても感じのよい学生さんたちでした。
彼らが去ったあと「すまない、学生がひとりもいなくてすまない…」と笑い合ってしまったのはまた別の話。

さて、このチラシを見てとりとめもなくいろいろな思いが浮かんできたので、今回はそのことについて書いてみようと思います。

最初の印象は「ひゃー、キラキラだけどギラギラだなぁ」

夢。志。仲間。モチベーション。
見るからに若者らしい爽やかなエネルギーに満ちあふれていますよね。
良くも悪くもポジティブ全振り、といった印象です。

多分、私が大学生だった当時にこれを目にしたら、うえぇ…と渋い顔をして即行でゴミ箱にインしていたことでしょう。
不満だらけの不本意な大学生活で心がガサガサに荒んでいたので、むやみやたらと前向きなのはそれだけで勘弁、というアレルギーみたいな状態でした。
人生の軌道修正を経て気持ちに余裕ができた今、ようやく真正面からこういうのに向き合えるようになったなぁと、しみじみ思ってしまったり。

こういう自己啓発的な取り組みって、もちろん素晴らしいなと思う一方、謎の違和感も強烈に感じますよね。
清濁入り混じったつかみどころのない胡散臭さといいますか…
良い意味でのキラキラと、どこか危ういギラギラ。
多分、どちらも真実だと思うのです。

ドリーマーは決して悪くない、が、迷走しがち

やりたいことがある、夢がある、それに向かって頑張りたい。
どこからどう見ても結構なことですよね。
否定する要素なんて何もありません。

でも、実際にはことはそうシンプルでもなかったりします。
周りからすごいと言われたい、あいつを見返してやりたい、親に認められたい、社会に評価されたい、なにかすごいことを成さねばならない、何者かにならねばならない、キラキラしていなければならない…
そういう、やりたいこととは別の想いがエネルギー源になっていたりしませんか。

もちろん、これらを一概に悪いと言うつもりはありません。
でも、そういう雑念みたいな気持ちって、しばしばその人の人生や価値観を盛大に迷走させてしまうんですよね。
人に優劣のレッテルを貼るようになったり、努力を正義と信じ込んでしまったり、途中でやりたくなくなってもそんな自分が許せなかったり、思うような成果を挙げられず自己嫌悪のスパイラルに陥ったり…

このような負の側面を、意識的にせよ無意識的にせよ、隠して見えなくしてポジティブ一辺倒に塗りつぶしているように見えてしまう。
それが危ういギラギラの正体かもしれません。

逆方向に振り切れたドリームキラーもたちが悪い

かといって、夢の負の側面を振りかざし、嫌悪感と劣等感をこじらせて、前向きな人の足を引っ張ることに執念を燃やすドリームキラーも相当にたちが悪いです。
文字にするとよっぽどひどい人に聞こえますが、なかなかどうして、程度の差はあれ身の周りに普通にごろごろいるものです。
身に覚えがある人も多いのではないでしょうか。

一番わかりやすいのはネットでの『叩き』ですね。
何かに一生懸命打ち込む人や精力的に活動している人に、ねちねちと文句を言ったり、もっともらしい理屈で非難したり、馬鹿だなと嘲笑したり…
お前だけ幸せになるのは許さないと言わんばかりの熱の入れようです。

ここまで悪質だとわかりやすいですが、これに近いことは日常レベルでも自然に起こったりします。
本人のいないところで「ちょっとねえ」と悪口を言ったり、前向きに頑張っている人を失笑で片付けたり、できない理由ややめた方がいい理由ばかりとうとうと語り続けたり…
しかも、恐ろしいことに本人にはその自覚がなかったりします。
私も書きながら「きっとどこかで無意識にブーメランなことをやらかしているんだろうな…」と、身の引き締まる思いです。

ニュートラルに向き合おう

昨今の社会では、キラキラした夢や目標を過剰に持ち上げすぎている気がします。
一方で、前向きに頑張る人や成功者に対する「出る杭は打たれる」風潮も目に余るものがあります。
夢や志について、もっとニュートラルに考えることはできないものだろうか?とつくづく感じます。
もし、なんらかのきっかけでどちらかに偏りすぎていることに気付いたら、意地を張らずに姿勢をあらためたいものです。
自戒も込めて。