そんなことを考えたきっかけが、こちらの記事でした。
ほしい物リスト掲載後に即全部届いて、こんなぼくでも生きて良いんですかと号泣。 : pskのblog
この感覚わかる。私も段ボール箱いっぱいの食べ物をいただいて、その場で泣き崩れたことある。食べ物をいただくとダイレクトに「生きろ」って言われてる感じがする。
— 真中ユエ@manakaweb (@manakayue) June 14, 2016
誇張でもなんでもない実体験です。
心のこもった贈り物とか、ただ一方的に与えられる善意って、本当に破壊力すごいんですよね。
胸がいっぱいになってしまう。
具体的なモノに限らず、態度でも、行動でも、なんでも。
ときどき思い出したように、無数の善意に支えられて生きていることを実感します。
愛、もしくは恩と言い換えてもいいかもしれません。
そういう恩って、返そうと思って返せるものじゃない気がするんです。
とてもじゃないけど返しきれない。
自分一人の力では到底返しきれない量の恩を、日々この身に受けながら生きている、そういう風に感じます。
これを等価交換的な貸し借りで考えてしまうと、心苦しくてたまりません。
一生かかっても返しきれない、膨大な借金を背負っているような感覚です。
「ありがとう!」と感じたあとに「返さなきゃ」と思い始め、負担が重くて、苦しくて、すぐには返せそうになくて、長引いて…
いつしか感謝の気持ちが「申し訳ない」「受け取らなきゃよかった」に変わってしまいます。
それって、善意を与えてくれた人の本意じゃないですよね。
苦しめるためにあげたわけじゃないよ!と思うはず。
少なくとも私はそう思います。
ビジネスじゃないんだから、お返しなんていらない。
自分がしたいからそうしただけで、あなたに恩を売りつけたわけじゃない、と。
そんなことを考えたとき、ふと、坂爪圭吾さんのこの言葉を思い出しました。
多分、恩は返すものではなく「次のひとにまわしていくもの」だと思う。
ああもう、まさにこれだ!と感じました。
これは坂爪さんの言葉だけど、「善意は返すのではなく回すのだ」と。それもすごくわかる。私が人に対して何かをするとき、ビジネスじゃないなら、お返しなんていらない。それでその人が生きてくれたなら嬉しい、それだけ。
— 真中ユエ@manakaweb (@manakayue) June 14, 2016
善意を受け取った分だけ、人は心に余裕ができ、優しくなれる。
そうしたら、他の誰かに手をさしのべられるようになる。
その誰かが、また他の誰かに手をさしのべていく…
恩を返すのではなく、次の誰かに回していく。
この発想があると、今までよりもほんの少し、人とのつながりが穏やかになるのではないでしょうか。